顎関節症でお痛みをもつ方たちの80%がTCHをもっていたと述べました.しかし一般の人たちの調査ではTCHを持つ割合は20数%でした.どうしてTCHをもつ人ともたない人とができるのでしょうか.色々と多くの顎関節症の患者さんや通常の歯科治療を受ける患者さん,あるいは患者さんではなく一般の人たちとのお話のなかで,少しずつできあがってきた考えがあります.それはなにかというと「元々はだれももっていなかったTCHを癖として獲得する人がいる」ということです.
1.歯科医の常識は一般の人の常識ではなかった
われわれ歯科医は歯科大学に入ると「口腔生理学」という講義を受けます.この内容は口や顔の色々な動きや感覚の仕組みを学ぶものです.その講義で「上下の歯は,たとえくちびるを閉じていても接触することはない」と教えられ「上下の歯の間のすき間のことを「安静空隙」と呼ぶ」と教わるのです.このことは同じ講義を受けた同級生たちや,帰宅して家族の状態を聞くことによって,安静空隙の存在を確認する事が容易にできます.ですからこの「くちびるを閉鎖していても上下の歯の間には安静空隙がある」ということは,歯科医にとっては長い年月の間の人間観察から常識となっていたのです.
ところが顎関節症の患者さんに多く接するようになり,なかなか症状の改善が思わしくなく,いつまでもつらい症状が続いている方たちの多くが,くちびるを閉じた状態で上下の歯をかんでいることに気づいたのです.そこである患者さんに「くちびるを閉じていても,上下の歯は離れているのですよ」とお話しすると,びっくりした顔をなさって「くちびるを閉じているときには,上下の歯をかんでいるのが当たり前だと思っていました」とお答えになったのです.このときに感じた衝撃は大変なものでした.つまり歯科医にとっては常識であったことが,一般の方にとっては常識ではなかったのです.その後も多くの患者さんから「歯をかんでいるのは当たり前」という言葉を聞くことになりました.「当たり前」と感じているのですから,TCHをもった人も「自分がおかしい」とは感じていないことになります.どうして異常とは感じられないのかということに関しては,次のように考えています.
2.TCHのない人は歯をつけ続けられない
今,この文章をお読みになっておいでの方がTCHを持っていないとします.TCHのない方が意識的に軽く上下の歯を接触させ,そのまま5分接触したままにしようとしてください.おそらくは徐々に頬やこめかみに疲労を感じ始めてつらくなるはずです.どのようなことが起きているのかというと「TCHによって引き起こされる筋肉の活動を自分で知る方法」で詳しく説明していますが,要するに歯を接触させただけで口を閉じる筋肉が活動するために,それが続くと蓄積した疲労を感じることになったのです.
この疲労が出るために,TCHを持っていない人は無意識に歯をはなしてしまいます.歯をはなすと筋肉の活動が終わるので,疲労蓄積が終わることになります.ただこの筋肉疲労は,それほど強い大きな疲労ではありません.そのため,何かの作業や勉強,読書など,夢中になっている状態にあると,しばしば歯を軽くかんだままにする人がでてきます.しばらくかみ続けて疲労が大きくなると無意識に歯をはなすのですが,これを繰り返し繰り返し続けているうちに,脳の状態が変化するのだろうと考えています.
3.誰でも歯の接触持続に慣れが起こりうる
つまり本来であれば歯が接触していない時間が圧倒的に長いために,その「歯がはなれた感覚」に脳が慣れているのです.「その感覚が正常」と脳は感じているのです.ところが,繰り返し繰り返し歯を接触させ続けていると歯が接触した状態が長く、繰り返されます.それによって「歯が接触した感覚」に脳が慣れていくのです.強い疲労感ならそういったことは起きないでしょうが,弱い疲労感であるために,その疲労感覚に脳が慣れてしまうのだと考えられます.
この慣れが起き始めると,歯が接触していても脳が異常とは感じなくなり「その感覚が正常」と判断することによってTCHが定着するのだろうと思われます.こうしてTCHをもつ人ともたない人とができあがるのでしょう.TCHがあっても頑丈な体をもっているなら,何か症状が起こるということはありません.そのような理由から,なんの症状も持たない一般の人の間に一定割合でTCHをもつ人がいることになります.