「顎関節症の4つの型」で顎関節症の4タイプについて簡単に説明しましたが,先日受診された患者さんからの質問で「先生のHPを見ましたら,無理矢理開口する訓練をすべきだ」と書いてありましたが,私は【非復位性関節円板前方転位】と診断され,【顎関節円板が関節の軸の前に落ちたままになっている】と説明を受けました.もしそうなっているのなら,無理矢理開口訓練すると,前に落ちた関節円板をもっと前に押しやることになり,症状が悪化するのではないでしょうか」と不安を訴えられました.それに対して「関節円板をもっと前に押しやるトレーニングでいいのです」と回答したのですが,その理由を説明します.
理由説明の前に「復位なし関節円板前方転位」とはどのような状況なのかを説明いたします.「顎関節症の4つの型」のコーナーでそのうちの1つのタイプとして「顎関節円板障害」というものがあると述べました.このタイプの初めの症状は「カクン」という音が出るだけで痛みはないのですが,そういった中の5%ほどの人達がある日,急に大きな口を開けられなくなります.それと同時に無理矢理開けようとすると耳の前あたりに痛みが出ます.食事で食品を咬もうとすると同じ部位が痛むという症状も出るかもしれません.この症状を引き起こすのが「復位なし関節円板前方転位」なのです.顎関節のなかでどのような事が起きているのかというと「顎関節円板障害」のところのイラストで説明したように,関節円板が前方にずれ,これによって本来開口するときに前方へ動く関節の軸となる下顎頭の動きを押さえてしまうのです.ずれの当初は,下顎頭がある程度前に動いた時に,下顎頭の動きを押さえていた関節円板の引っかかりが外れ,下顎頭の上に乗っかる(その時カクンと音が出ます.これが復位(位置が戻るということ)性関節円板前方転位)ので,下顎頭はもっと前方へ動き,結果的に大きな口を開けられるのですが,そういったケースの一部では,あるときから下顎頭の前方移動を押さえていた関節円板の引っかかりが外れず,下顎頭の前に居座ってしまうのです.こうなると下顎頭が前に動けなくなるために大きな口を開けられなくなるのです(これが非復位(位置が戻らないということ)性関節円板前方転位).
また「顎関節症の痛みを速く消失させるためには痛みを出すリハビリトレーニングを行うべき」の所でも説明しましましたように,関節は動きが悪くなると,運動に必要な血液が十分に行き渡らなくなるために,痛みに敏感になります.これが原因で無理に開けようとしたり,ものを咀嚼しようとするとその運動の刺激で痛みが発生することになるのです.顎関節の運動(下顎頭の動き)を妨害しているのが前に落ちた関節円板ですから,これを元の下顎頭の上に戻せるならそれが一番いいわけです.ところが手術以外の方法で前に落ちた関節円板を元の位置に戻すことは,落ちた直後でない限りはほぼ不可能であることが分かりました.そこである時間を経過したケースでは手術で戻すということも行われたのですが,あとで調べるとそのように戻した大部分のケースで,関節円板はまた落ちていました.要するに前に落ちた関節円板は,今の技術ではどうやっても戻せないということなのです.それでは一旦関節円板が前方に落ちた方は,一生口が大きく開けられない状態で過ごさねばならないのでしょうか.そんな心配はいりません.たとえきちんとした治療を受けない方でも,時間が経過すると,お口の開く大きさは少しずつ広がります.これにはどのような変化が顎関節の中で起きているのというと,実は関節円板を下顎頭に連結している靱帯が少しずつ伸びることで下顎頭が前に動く動きの抑えが,徐々にゆるんでいるのです.この変化によって下顎頭の前方移動量が増え,結果的に口が開いてきたことになります.口が開くようになってくると,顎関節への血液循環量も増えますから痛みへの過敏化も改善し痛みもやわらぐことになるのです.このような変化が起きた場合に心配なのが,症状が他に何か起きてくるのではないか,あるいは顎関節はかみ合わせのかなめですから,かみあわせが変わるのではないかという不安ですが,そういった悪い方向への変化はこれまで報告されたことがありません.この関節円板前方転位という状態の存在が初めて報告されたのは1979年ですが,それ以前から顎関節症という病気は知られていました.1979年以降に判明するのですが,この関節円板のずれによる顎関節症は4つのタイプの顎関節症の中では最も多く,病院の顎関節症治療施設への来院患者全体の約60%を占めるのです.これだけ多いのですから,1979年以前には,当然のことですが顎関節円板前方転位のケースは多数おり,そういった患者さんも,当時行われていた無理矢理行う開口訓練で口が大きく開き,痛みが消えるという経験はしていました.こういった患者さんでは前に落ちた関節円板を無理矢理もっと前に押しやっていたことになります.こういった事も考え合わせると,たとえ円板を前に押しやろうともリハビリトレーニングを行うことは間違いではないわけです.